寫眞行脚 その4

 写真に写ったモノ=リアルだという何かしらの思い込みが面倒臭い事になっている気がするのです。出来るだけリアルに近づけようとして、絶対非演出、レアリズムなんて言ったって、言ってる端から白黒写真って、リアルには色付いてるじゃないですか。

 

 じゃぁカラー写真がリアルかといえば、フィルムの趣向自体がリアルではなくて撮る人の好みに向いている。そして根底にある、これまたある種の思い込みに、紙焼きであれば全ての人が等しくその写真を見られているという勘違いがある。モニタで見る写真がPCやモニタ環境で異なって見えているように、人間の目の性能だって個々で違うはず。だとすれば、写真表現の行き着く先は、多種多様な要素に対する平均値ではなく、もう自分自身の尺度以外にあり得ない。

 つまり、写真は、オレです。

 

RICOH GR21 / Kodak 400TX

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コメント: 6
  • #1

    hiro (金曜日, 01 5月 2009 13:36)

    そういう事ですな。
    なにがリアルなのかってのに個人差があるんですよねw

    自分としては「集合的無意識の表現」を求め、それをリアルと考えています。

  • #2

    コマチ (金曜日, 01 5月 2009 22:07)

    リアルは目の前にあるもの、感触でしょ?
    写真はまったくの嘘じゃないけど、リアルでもない気がする。
    色もそうだけど、四次元→二次元になるって言うのもね。

    生きてるのだって、考え事してるのだって
    リアルだけど、リアルじゃない気もする。

    考え出すと、難しくてわからなくなってくる^^

    モニターが違うように、眼の性能も違うっていうのは
    面白いね。

    普通に接しているより、写真を見るとより濃く、
    その人が見える気がするね。

  • #3

    ヒロシ (金曜日, 01 5月 2009 23:01)

    確かにおっしゃるとおり。
    自分だってモノクロやクロスっていうフィルターで逃げてる感はありありですわ。
    細かい事抜きにして、とりあえず撮りゃあいいかと思い出してきた^^;
    撮った後に残るもの、それがオレが撮った写真ならそれでいいじゃないかって感じです。

  • #4

    1048 (金曜日, 01 5月 2009 23:43)

    hiroさん>
    自分以外の誰かってのも関係無くなってきますね。
    それはもう分からない事なので。
    無意識が集合して表現ですね(違

    コマチさん>
    写真は既に過ぎ去っているので、
    何かしら同時に進行しているリアルではないですね。
    リアル=嘘ではないという、そもそもなぜそれを求めるのか、
    ヤラセ的なモノへのアンチテーゼ?
    そうやって考えるのもまた不毛かも知れません。
    写真からその人が見える。
    写真は自己紹介しているようなものだからね。
    私はこういうモノに反応するのです。ってね。

    ヒロシさん>
    つまりそこで逃げだと感じてはいけないのです。
    写真は自分でシャッター切る限り、
    その人しか撮れない写真なわけですよ。
    その中で面白いのと、つまんないのが出てくるのが問題だけど、
    それはもう人間磨くしかないという。

  • #5

    Harasho (日曜日, 03 5月 2009 03:32)

    >人間の目の性能だって個々で違うはず

    これ、小学生のときによく妄想していました。

    実はぼくが見ている"白"という色は、他人にとっては"僕が青と思っている"色だったりとか、ぼくの目が見ている人間の姿は、実はぼくだけのイメージであって、ぼくが宇宙人と思う姿が、他人にとっての人間の姿だったりとか。

    しかし、例えば白い本と赤い本と青い本を置いて、皆に白色は?と質問すると同じ色を選ぶ現実がある。

    うむ、不思議だ。と、風呂や寝る前にさんざん悩んでいたのを思い出します。

  • #6

    1048 (火曜日, 05 5月 2009 00:00)

    Harashoさん>
    自分以外全部妄想かもしれないし、実は自分自身も存在しないかも知れません。

    白と赤と青だとおよそ見分けますよね。
    グレー一冊と黒4冊だったら、グレーを白って言いそうですけど。
    あとは昔の信号みたいに、明らかに青じゃないのに大多数が青だと言えば緑も青になっちゃう感じのが危険ですね。

    レンズ神話とか大先生の写真とか、もう大変です。